取組の流れと所作の意味 — 入場から弓取式まで

力士が花道を歩いてから勝ち名乗りを受けるまで、大相撲の一番はおよそ決まった順序で進みます。このページでは、その全体像と、塩まき・力水・蹲踞・塵手水・四股・仕切りといった所作が何を意味しているのかを、確認できた資料の範囲で説明します。

まず全体像 — 一番はこの順で進む

細かい所作を追う前に、順序を頭に入れておくと迷いません。一番はおおむね次のように進みます。

  1. 呼出(よびだし)が呼び上げる — 呼出が土俵に上がり、東西の力士の四股名(しこな=力士の名前)を呼び上げます。仕切りの制限時間は、呼出が呼び終わった時点から計り始めます。
  2. 土俵に上がる — 力士は花道(はなみち)から入場し、二字口(にじぐち)で蹲踞(そんきょ=つま先立ちで深くしゃがむ姿勢)して柏手(かしわで)を1つ打ちます。
  3. 力水と紙 — 十両以上は水で口をすすぎ、紙で口元を隠して吐きます。
  4. 塩をまく — 十両以上が塩をつかんで土俵に上がり、まきます。
  5. 塵手水(ちりちょうず) — 向き合って蹲踞し、手を清めて武器を持たないことを示す所作をします。
  6. 四股と仕切り — 四股を踏み、腰を落として両拳をつく仕切り(しきり)に入ります。制限時間まで、塩と力水をはさみながら何度か繰り返します。
  7. 立合い(たちあい) — 時間いっぱい。両力士が呼吸を合わせて立ちます。
  8. 勝負がつく — 行司(ぎょうじ)が軍配(ぐんばい)を勝った側に上げます。
  9. 礼と勝ち名乗り — 両力士が礼をし、負けた力士は土俵を降ります。勝った力士は蹲踞して勝ち名乗りを受けます。
  10. 懸賞 — 懸賞(けんしょう)がかかっていれば、手刀(てがたな)を切ってのし袋を受け取ります。

判定に異議があれば、8と9の間に物言い(ものいい)が入ります。

なお3〜5の並びは、日本相撲協会の英文パンフレットが図解で示している「塩まき → 蹲踞 → 塵手水 → 仕切り → 立合い」の順に沿っています。実際には塩と力水は仕切りのたびに繰り返されるので、きっちり一列に並ぶわけではありません。

勝敗の条件

土俵は一辺約6.7メートルの四角い土台で、高さは約60センチ。その上に直径約4.55メートル(15尺)の円が描かれています。勝負はこの円の中で行われ、円の外に体が出るか、円の中で足の裏以外が土俵についたほうが負けです。膝でも、指先でも、髷(まげ)の先でも同じです。俵を越えて足のつま先やかかとが外に出ても負けになります。

拳で殴る、髪をつかむ、目を突く、喉をつかむ、腹や胸を蹴るといった行為は禁じられています。廻し(まわし=力士が締める帯)のうち急所を覆う前袋をつかむことも反則です。体重別の階級はないので、倍近い体重差の相手と当たることもあります。

入場から仕切りまで — 所作の一つひとつに意味がある

支度部屋と花道

支度部屋(したくべや)は、力士が場所入りしてから使う控室です。両国国技館では、向正面(土俵正面の向かい側)の後方、東西の花道を引き揚げた先に、土俵と平行する形で作られています。東方はコの字型、西方は逆コの字型で、横綱がコの字の突き当たり、以下は番付(ばんづけ=力士の序列を記した一覧表)順に場所が決まっています。

力士はここで化粧廻しをつけて土俵入りに向かい、締込(しめこみ=取組用の廻し)に着替えて四股などの準備運動をし、出番になると付け人(つけびと=関取の身の回りを世話する下位力士)に先導されて土俵へ向かいます。取組が終わると、まず風呂で砂と汗を落とします。

東西2つに分かれていますが、これは番付の東西とは一致しません。その日の取組でどちら側に割り振られたかによります。対戦する二人が同じ部屋にならないよう振り分けられる、と説明されますが、規定の原文は確認できませんでした。

花道は支度部屋から土俵へ向かう通路です。平安時代の相撲節会(すまいのせちえ=宮中で行われた相撲の行事)で、力士が左方は葵、右方は夕顔の造花を髪にさして入場した故事に由来する、と説明されることが多い名称です。ただし語源には諸説あります。

控え — 単なる待機場所ではない

出番が近づいた力士は、土俵下の控え(ひかえ)に座って待ちます。ここが重要なのは、控え力士に物言いをつける権利があるからです(詳しくは後述)。

結びの一番(むすびのいちばん=その日の最後の取組)の前後で勝った力士は、支度部屋に引き揚げずそのまま控えに残ります。これを勝ち残りといいます。次に土俵に上がる力士に水をつける役目があるためです。

二字口と柏手

二字口は、東西それぞれの土俵への上がり口です。土俵の外側にも徳俵(とくだわら=円の四方で少し外にずらして埋めてある俵)と平行に俵が埋めてあり、上から見ると漢数字の「二」の形に見えることから、こう呼ばれるとされます。

力士は土俵に上がると、二字口で蹲踞して柏手を1つ打ちます。これは対戦相手や観客への礼ではなく、土俵に対する礼だと説明されます。力水をつけてもらったあとにも、再び柏手を打ちます。

蹲踞(そんきょ)

つま先立ちで深くしゃがみ、上体を立てたまま両膝を左右に十分に開く姿勢です。協会の英文パンフレットは「力士がつま先で立ち、腰を地面近くまで低く下ろす基本の姿勢」と説明しています。顎を引き、背筋を伸ばし、両手のひらを自然に膝の上に置きます。

意味は、相手に敬意を表す姿勢とされます。土俵に上がったとき、塵手水を切るとき、勝ち名乗りを受けるときなど、一番のなかで何度もこの姿勢を取ります。剣道でも同じ字を使いますが、形は少し違います。

力水(ちからみず)と紙

取組前に口をすすいで身を清める水です。土俵下に置かれた桶に入れられ、力士は口に含んで吐き出します。神社の手水舎(ちょうずしゃ)で口と手を清めてから参拝するのと同じ発想だと説明されます。

呼び名は資料によって揺れます。相撲規則の土俵規定は「水」「紙」「塩」を備えると記しているとされ、条文上は単に「水」だという説明があります。一方で「力水」を正式名称とする資料もあります。「清めの水」「化粧水」は通称です。

誰が渡すのかは決まっています。原則として直前の取組に勝った力士(勝ち残り)で、その区分の最初の取組では、同じ側で次に取る力士がつけます。負けた力士は水をつけません。同じ側が続けて負けるなどしてつける人がいなくなると、付け人が浴衣を片肌脱ぎにして土俵下に入ります。

力紙(ちからがみ)は、半紙を半分に切って二つ折りにしたものです。口に含んだ水を吐くときに口元を隠したり、体を拭き清めたりするのに使います。通称は「化粧紙」です。

水と紙は現在、十両以上の取組に限られています。かつては全力士が使っていたのが明治期に改められたと説明されますが、その具体的な年月は今回確認できませんでした。

塩 — 誰がまけるのか

十両以上の関取(せきとり=十両以上の力士)が原則です。協会の英文パンフレットは、塩まきは幕内・十両、そして場合により幕下の力士に許された所作だと明記しています。

例外は進行の調整です。取組の進行が早すぎる場合、幕下同士の取組でも「塩が入る」といって塩をまき、時間を調整することがあります。ごく稀な運用で、基準は公表されていません。

塩をまく意味は、土俵から邪気を祓い、力士の安全を祈ることにあるとされます。パンフレットはあわせて実用的な効果も挙げており、塩が力士の手を適度に湿らせ、擦り傷を消毒する働きもあると説明しています。塩は土俵の東西に置かれた竹かごからつかみ取ります。両国国技館では1日に約45キロを使うと報じられています。

塵手水(ちりちょうず)

向き合って蹲踞し、一度両手を下げたあと、両手のひらをもみ合わせて柏手を1つ打ち、手のひらを上に向けて両腕を左右に大きく開き、最後に手のひらを下に返す。この一連の所作を塵手水といいます。

意味は2つに分かれています。

  • もみ手 — 手を清める
  • 手のひらを開いて返す — 武器を持っていない、素手で正々堂々戦うことを示す

由来には諸説あり、確定していません。野天(やてん=屋根のない場所)で相撲を取っていた時代に水がなく、地面の草についた朝露で手を清めたという説と、空気中の塵を手に集めて清めたという説が紹介されます。

表記も「塵手水」と「塵浄水」の両方が使われます。読みはどちらも「ちりちょうず」です。

四股(しこ)

片足を高く上げ、力を込めて地を踏む動作です。腰・膝・足首を鍛える稽古法であると同時に、地を踏み鎮めるという宗教的な意味を持つとされます。

百科事典マイペディアは、各地の祭礼で行われる民俗相撲について、四股によって大地の邪悪な霊を踏み鎮める、あるいは踏むことで春先の大地を目覚めさせて豊作を約束させる、といった伝承が多く伝わると記しています。また、平安宮中の年中行事だった相撲節(すまいのせち)で力士を天覧の庭に先導した陰陽師が行った反閇(へんばい=邪気を祓うために大地を踏む呪術的な歩行)に由来するという説も挙げています。いずれも複数ある説の一つです。

「四股」は当て字です。「醜(しこ)」の意ではないか、あるいは「醜足(しこあし)」の略ではないか、と辞典は記しています。

仕切りと仕切り線

仕切りは、腰を落として両拳を土俵につけ、立合いの構えを取ることです。何度も繰り返すのは、両力士が呼吸を合わせる時間をつくるためです。

仕切り線は土俵中央の2本の白線です。寸法は資料によって差があり、幅6センチ、間隔70センチは一致しますが、長さは80センチとする辞典と90センチとする説明があります。力士はこの線より前に出て仕切ってはいけませんが、後ろに下がって仕切るのは差し支えありません。

この線がある理由は歴史的なものです。かつては制限時間も仕切り線もなく、仕切りのたびに両力士が少しずつ前に出て、最後は頭と頭をつけ合うこともありました。そうなるとかえって立てず「待った」が続きます。両力士が必ず離れて仕切るようにするために引かれた線だと説明されますが、制定年を明記した一次資料は確認できませんでした。

仕切り制限時間と立合い — 開始の合図がない競技

制限時間は階級で違う

階級 制限時間 仕切りのおよその回数
幕内 4分 3〜4回
十両(十枚目) 3分 2〜3回
幕下以下 2分以内 2回程度

計測は呼出が東西の力士名を呼び終わった時点から始まります。ブリタニカ国際大百科事典にも「呼び出しが東西の力士名を呼び終わったときから計る」と明記されています。

誰が時間を管理しているか

土俵下の審判委員(時計係)です。その日の進行状況を見ながら調整し、時間になると合図を送って行司に知らせます。十両以上では呼出が力士にタオルを差し出すなどして、制限時間いっぱいであることを伝えます。ここが最後の仕切りになり、力士は最後の塩をまきます。

結びの一番が夕方の所定の時刻に終わるよう全体が調整されるため、進行が遅れていれば制限時間より短く区切られることもあります。

なぜ制限時間ができたのか

それ以前は無制限で、両力士の呼吸が合うまで延々と仕切りが繰り返されていました。ブリタニカ国際大百科事典は、1928年(昭和3年)1月に「取組の進行をスムーズに行なうため」設けられたと説明しています。同じ1928年1月にラジオ中継が始まっており、放送時間内に収める必要があったためだとよく語られますが、この因果関係を明記した一次資料は確認できませんでした。

短縮の経緯は、幕内で10分から始まり、7分、5分を経て現在の4分になったとされます。最終的に4分・3分・2分になったのは昭和25年(1950)だという説明もあり、段階的短縮の最後の一段と考えれば両者は矛盾しません。

立合いの成立条件

大相撲には、審判が出すスタートの合図がありません。両力士が土俵に手をつき、お互いの呼吸を合わせて立つことで取組が始まります。相手より早く踏み込みたいのに相手に合わせなければならないという、他の競技にない構造になっています。

公認相撲規則の勝負規定第5条には「立ち合いは腰を割り両拳をつくことを原則とし、制限時間後、両拳をついた場合は『待った』を認めない」とある、と専門記者の記事が引用しています。つまり両手をつくのが原則です。

ただし運用は簡単ではありません。手つきが不十分だと行司が待ったをかけたり、審判長が手を上げて立合い不成立を告げたりします。手はついていても呼吸が合っていないと判断されて止められることもあります。審判部は2016年5月場所から手つきの徹底を求めましたが、基準が分かりにくいという声が力士側から出たことも報じられています。

待った

立合いが成立しないことを待ったといいます。力士自身が身振りで示す場合と、行司が止める「行司待った」があります。

取組中に廻しが緩んで外れるおそれが出たときに行司が止める廻し待ったもあります。行司の判断で行われますが、技をかけている途中には止めず、動きが止まった一瞬に声をかけます。このとき力士は組み手を変えてはならず、その姿勢のまま待ちます。再開は、行司が両力士の間に立って声をかけ、廻しの上を叩くことが合図になります。

行司の掛け声

  • 「まだまだ」 — 呼吸を合わせてから立つよう促す
  • 「時間です」 — 制限時間いっぱいになったことを伝える
  • 「はっきよい」 — 動きが止まったときにかける。「発気揚々(はっきようよう)」から来ており「お互い元気を出して」の意だと説明されますが、この解釈自体は第二次世界大戦中に定められたものだという指摘もあり、語源には諸説あります。実際の発音は「はっけよい」に近いことが多いです
  • 「のこった」 — まだ土俵に残っている、勝負はついていない、という意味。動いているときにかける

もう一つ、覚えておくと見方が変わる点があります。時間いっぱいのあと、立合いが成立していない状態で土俵の外に足を踏み出すと負けになる、と説明されます。十両以上は仕切り直しのたびに塩を取りに土俵の外へ足を出しますが、最後の仕切りのあとはそれができません。ただし対応する規則条文は確認できませんでした。

勝負がついてから — 礼、勝ち名乗り、手刀、物言い

行司は必ずどちらかに軍配を上げる

どれほど際どくても、現行の規定では行司が「勝負なし」とすることはできません。必ず東西どちらかに軍配を上げます。江戸時代には、判定がつけられそうにない微妙な取組で行司が無勝負と裁定できる制度がありましたが、幕末に廃止されました。廃止の正確な年は今回確認できませんでした。

礼と勝ち名乗り

勝負がつくと、両力士は土俵上で向き合って礼をします。負けた力士は一礼して土俵を降り、花道を引き揚げます。勝った力士は土俵中央で蹲踞し、行司が軍配を差し向けて勝ち名乗りを受けます。広く行われている慣行ですが、手順を定めた条文そのものは確認できませんでした。

懸賞と手刀

懸賞は幕内の取組にかけられます。1本の金額は7万円(税込)で、うち6万円が勝ち力士の獲得金額、1万円が協会の手数料です。

獲得金額6万円の内訳は、報道によれば土俵上で受け取る現金が1万円、残る5万円は納税充当金・引退後の資金として協会が積み立てるというものです。以前は現金3万円・預り金3万円と説明されていた時期があり、協会の公式サイトで現行の内訳を確認することはできませんでした。

土俵上で受け取るのし袋が厚く見えるのは、中に折り目のない新券と硬い厚紙の台紙が入っているためです。注目の一番では数十本分の袋が束になることもあります。

手刀の切り方は、指をそろえて伸ばした手の形(これが手刀)で、行司が軍配に乗せて差し出すのし袋に対し、左・右・中の順に切ります。

この作法の意味は、五穀の守り三神に感謝する礼儀とされています。国立国会図書館のレファレンス協同データベースに収録された回答(『相撲大事典』ほかに基づく)では、次のように整理されています。

  • 左 — 神産巣日神(かみむすびのかみ)
  • 右 — 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
  • 中 — 天御中主神(あまのなかぬしのかみ)

神名の表記と読みは資料によって揺れがあり、「高皇産霊神」「あめのみなかぬしのかみ」と記すものもあります。

この左・右・中の順は、昭和41年(1966)七月場所から正式に相撲の規則として実施されました。廃れていた作法を力士の名寄岩が復活させ、当時の時津風理事長(元横綱双葉山)が同場所で全力士に徹底させたと説明されています。

物言いと協議

行司が下した判定に異議がある場合、土俵下に座る審判委員(審判部に所属する親方衆)が手を上げて意思表示します。これが物言いです。

審判委員以外に、控え力士にも物言いをつける権利があります。実際に行使される例はごく稀です。

物言いがつくと審判委員が土俵上に集まって協議し、ビデオ室と連絡を取りながら映像も参考にします。ビデオが導入されたきっかけは、昭和44年(1969)3月10日、三月場所2日目に横綱大鵬が前頭筆頭の戸田に敗れ、45連勝が止まった一番の判定でした。この判定が問題になり、同年5月場所から映像の参照が本格的に始まりました。ただし判断は審判委員の目が優先で、ビデオはあくまで参考資料と位置づけられています。

協議の結論は主に3つで、審判長が場内に説明します。

  • 軍配通り — 行司の判定どおり
  • 軍配差し違い — 行司の判定が覆る
  • 取り直し — 両者同体とみて、もう一度取り直す

引き分けを作らず「もう一度取る」という取り直しの制度は、他の競技にあまり例がありません。江戸時代から大正時代までは「預かり」という、その場で勝負をはっきりさせない判定もありましたが、のちに廃止され取り直し制度に改められました。廃止の正確な時期は確認できませんでした。

水入りと二番後取り直し

取組が長引き、両力士に疲労が見えて進展がなくなると、時計係の審判委員から合図が入り、行司が審判委員の承諾を得て一旦中断します。これが水入りです。中断中に力水をつけることからこう呼ばれます。力士は水を口に含み、廻しを締め直して休みます。

再開時は、中断したときの足の位置と組み手をそのまま再現し、審判委員に異議がないか確認したうえで、行司が声をかけ、両者の廻しを同時に叩いて勝負を再開します。

幕内・十両で水入りを繰り返しても決着しない場合は「二番後取り直し」となり、2番あとにもう一度取ります。それでも決着しなければ引き分けです。現在ではほとんど見られませんが、制度としては残っています。

千秋楽の役相撲

千秋楽(せんしゅうらく=場所の最終日)の最後の3番は役相撲と呼ばれます。この3番に出る力士は「三役揃い踏み」として東西3人ずつ土俵に上がり、四股を踏みます。

  • 最初の取組の勝者 — を受け取る
  • 2番目の取組の勝者 — を受け取る
  • 結びの取組の勝者 — 本来はが与えられるが、弓取式を務める力士が代わりに受け取る

これは、武家の時代に弓・矢といった武士にとって価値の高い品が褒美として渡されていた名残とされています。

一日を区切る儀式 — 土俵入りと弓取式

十両土俵入り・幕内土俵入り

それぞれの階級の取組が始まる直前に行われます。化粧廻し(けしょうまわし)を締めた力士が、番付の下位から順に花道を進んで土俵に上がります。まず一方が行い、続いてもう一方が反対側の花道から入って同じことを繰り返します。

土俵上の所作は短く、「塵浄水」「三段構え」「四股」を簡略化したものと説明されます。三段構え(さんだんがまえ)は上・中・下の三段に構える古い儀礼的な型のことです。

  1. 柏手を1つ打って右手を上げる(塵浄水)
  2. 化粧廻しを両手で少し持ち上げる(三段構え)
  3. 最後に両手を上げる(四股)

化粧廻しは絹に刺繍を施し、金の房で縁取った豪華なもので、協会の英文パンフレットは価格がおよそ100万円ほどからだと記しています。前垂れの下端の房を「馬簾(ばれん)」といい、紫色の馬簾は横綱・大関にしか許されていないとされます。

歴史の順序は意外に思われるかもしれませんが、幕内土俵入りのほうが横綱土俵入りより古いです。幕内土俵入りがいつ始まったかは分かっていませんが、享保年間(1716〜1735)の相撲絵画で確認でき、谷風・小野川によって始まった横綱土俵入りより70年以上前から行われていたとされます。横綱土俵入りは、その幕内土俵入りをさらに見せ場にしたものです。十両が独自に土俵入りを行うようになったのは、これよりかなり後です。

横綱土俵入り

幕内土俵入りの直後に行われます。横綱は太刀持ち(たちもち)露払い(つゆはらい)の2人の力士を従え、位の高い行司が先導して花道を進みます。横綱の化粧廻しは、太刀持ち・露払いの分と合わせて三つ揃いで一組にすることが多くなっています。

横綱が土俵中央に立つと、行司と2人の力士は土俵上で蹲踞します。行司が軍配の房を振るのは、邪気払いの意味があるとされます。

所作の意味は、協会の英文パンフレットが次のように説明しています。

  • 柏手を打つ — 神々の注意を引く
  • 両腕を左右に開いて手のひらを上に向ける — 武器を隠し持っていないことを示す
  • 片足ずつ高く上げて強く踏み下ろす(四股) — 土俵から邪気を祓う

雲龍型(うんりゅうがた)と不知火型(しらぬいがた)の違いは、綱の形とせり上がりの手の形にあります。

雲龍型 不知火型
綱の後ろの輪 1つ 2つ
せり上がりの手 右手を広げ、左手は脇腹に当てる 両手を広げる
表すもの 右手が攻め、左手が守り 両手で攻めの姿勢

名前は幕末から明治初期の横綱、10代雲龍久吉と11代不知火光右衛門にちなみます。ただしここにはよく知られた食い違いがあります。実際には雲龍が現在の不知火型に近い所作で、不知火が現在の雲龍型に近い型だったらしく、明治期に所作と名称が入れ違ったとされている、という指摘が繰り返し報じられています。当時の型を確定できる史料は確認できませんでした。映像で確認できるのは近代以降の横綱のものに限られます。

横綱が締める綱の重さは、パンフレットによれば通常11〜15キロほどです。なお、型は一門(いちもん=相撲部屋の系列集団)や部屋で決まっているわけではありません。65代貴乃花は雲龍型、66代若乃花は不知火型と、兄弟でも分かれています。

弓取式(ゆみとりしき)

結びの一番が終わったあと、弓取を務める力士が行司から弓を受け、決められた所作で弓を振ります。これは勝った力士に代わって勝利の喜びを表す舞とされます。通常は横綱がいる部屋または同じ一門の幕下以下の力士が担当し、横綱不在のときは大関のいる部屋・一門から選ばれます。

かつては千秋楽だけの儀式でしたが、昭和27年(1952)から毎日行われるようになりました。開始の場所については一月場所とする資料と五月場所とする資料があります。

作法には理由があります。弓取力士は土俵に手をついてはいけません。相撲では手を土俵につくと負けを意味するため、縁起が悪いとされるからです。そのため、誤って弓を落としても手で拾わず、落ちた弓を足の甲に載せて跳ね上げ、手で受けます。土俵の外に飛んでしまった場合は呼出が拾います。

弓で土俵を掘るような所作は「弓を抜く」といいます。東方の力士が勝てば東側から抜き、西方が勝てばその逆から抜いて、勝った力士を称えます。

起源については説が分かれます。記録として明確なのは、寛政3年(1791)に徳川家斉の上覧相撲で谷風梶之助が土俵上で弓を受け、四方に振り回したというもので、これが現在の原型とされます。元亀元年(1570)に織田信長の上覧相撲で第一の勝者に重籐(しげとう)の弓を与えたのが起源だとする記述も辞典類にありますが、俗説として扱われています。平安時代の相撲節会の「勝ち舞い」の故実に基づくという説もあります。

観戦の時間割と、見逃さないための目印

一日のおおよその流れ

東京場所の例です。場所や日によって前後します。正確な時刻は協会公式サイトの観戦案内で確認してください。

時刻の目安 内容
午前8時台後半 開場
午前9時ごろ 序ノ口から取組開始
午後2時過ぎ 十両土俵入り、続いて十両の取組
午後3時半ごろ 幕内土俵入り、続いて横綱土俵入り
その直後 幕内の取組
午後6時ごろ 結びの一番、弓取式、打ち出し(終了)

幕下以下の取組は午前中から進みます。関取衆が支度部屋に入ってくるのは午後に入ってからで、館内の空気が変わるのもこの頃です。

なお、この時刻表は今回、協会公式サイトの該当ページを直接確認できなかったため、一般に案内されている目安として示しています。日によって、また大阪・名古屋・福岡の各場所によって異なります。

「そろそろ立つ」を見分ける5つの目印

初めて見ると、いつ立合いになるのか分かりにくいはずです。順に次の合図が出ます。

  1. 呼出が四股名を呼び終わる — ここから制限時間の計測が始まる
  2. 土俵下の審判委員が合図を送る — 制限時間いっぱいを行司に知らせている
  3. 呼出が力士にタオルを差し出す — 次が最後の仕切り
  4. 力士が最後の塩をまく — 十両以上の場合
  5. 行司が「時間です」と告げ、軍配を返す — 待ったなし

判定が割れたときは、土俵下の審判委員が手を上げます。これが物言いの合図です。

初めて見る人へのおすすめの見方

一番の全体を追おうとせず、力士が土俵に上がってから最初に塩をまくまでの1分間だけを見てみてください。二字口での柏手、力水、紙で口元を隠す動き、塵手水と、清めの所作が短い間に何度も重なっていることが分かります。

そのうえで、仕切りを繰り返す時間は「両力士が呼吸を合わせるための時間」だと思って見ると、退屈な待ち時間ではなくなります。開始の合図がない競技なので、いつ立つかは行司でも審判でもなく、土俵の上の二人が決めています

このページに出てきた用語の確認

読みが紛らわしいものを挙げておきます。

  • 蹲踞(そんきょ)— 剣道でも同じ字を使います
  • 塵手水/塵浄水(ちりちょうず)— 両方の表記が使われます
  • 手刀(てがたな)— 空手などと同じ字ですが、相撲では懸賞を受け取る作法を指します
  • 十両 — 正式名称は「十枚目(じゅうまいめ)」。取組表や表彰状では十枚目と書かれます
  • 徳俵(とくだわら)— 円の四方で少し外にずらして埋めてある俵
  • 打ち出し(うちだし)— その日の興行の終了のことです

このページに出てきた言葉

取組とりくみ
力士どうしの一番の対戦のこと。またその組み合わせを指すこともある。
番付ばんづけ
力士の序列を独特の書体で記した一覧表。場所ごとに成績に応じて改められる。
関取せきとり
十両以上の力士。給金が出て付け人がつくなど、幕下以下とは待遇が大きく異なる。
付け人つけびと
関取の身の回りを世話する幕下以下の力士。土俵下まで先導する役目もある。
廻しまわし
力士が腰に締める帯。取組用のものは締込ともいう。急所を覆う前袋をつかむのは反則。
支度部屋したくべや
力士が場所入りしてから使う控室。東西2つに分かれ、番付順に座る場所が決まっている。
花道はなみち
支度部屋から土俵へ向かう通路。相撲節会で力士が造花をさして入場した故事に由来するとされるが、語源には諸説ある。
二字口にじぐち
東西それぞれの土俵への上がり口。外側の俵が漢数字の「二」の形に見えることからこう呼ばれるとされる。
徳俵とくだわら
土俵の円の四方で、一俵分だけ外側にずらして埋めてある俵。その分だけ土俵が広くなる。
控え力士ひかえりきし
出番が近く土俵下で待機している力士。物言いをつける権利を持つ。
勝ち残りかちのこり
勝った力士が支度部屋に戻らず土俵下の控えに残ること。次の力士に水をつける役目がある。
力水ちからみず
取組前に口をすすいで身を清める水。十両以上の取組で使われる。規則の条文では単に「水」と記されるとされる。
力紙ちからがみ
半紙を半分に切って二つ折りにしたもの。水を吐くときに口元を隠したり体を拭いたりする。化粧紙ともいう。
蹲踞そんきょ
つま先立ちで深くしゃがみ、上体を立てたまま両膝を左右に開く姿勢。相手に敬意を表すとされる。
塵手水ちりちょうず
もみ手から柏手を打ち、両腕を開いて手のひらを返す所作。手を清め、武器を持たないことを示す。塵浄水とも書く。
四股しこ
片足を高く上げて強く地を踏む動作。稽古法であると同時に、地を踏み鎮める意味を持つとされる。
反閇へんばい
邪気を祓うために大地を踏みしめる、陰陽道に由来する呪術的な歩行。四股の由来説の一つに挙げられる。
仕切りしきり
腰を落として両拳を土俵につけ、立合いの構えを取ること。制限時間まで何度か繰り返す。
仕切り線しきりせん
土俵中央に引かれた2本の白線。幅6センチ、間隔70センチ。長さは資料により80センチ・90センチと分かれる。
立合いたちあい
両力士が呼吸を合わせて同時に立ち上がり、取組が始まる瞬間。両拳をつくのが原則。
待ったまった
立合いが成立せずやり直しになること。力士が示す場合と行司が止める場合がある。
行司ぎょうじ
土俵上で取組を進行させ、勝敗を判定する役。軍配を用いる。
軍配ぐんばい
行司が持つうちわ状の道具。勝った力士の方向に上げて判定を示す。
呼出よびだし
土俵上で力士の四股名を呼び上げるほか、土俵の整備や太鼓なども担当する役。
四股名しこな
力士が土俵で名乗る名前。本名とは別につけられることが多い。
勝ち名乗りかちなのり
勝った力士が土俵中央で蹲踞し、行司から勝ちを告げられること。
手刀てがたな
指をそろえて伸ばした手の形。懸賞を受け取る際に左・右・中の順に切る。
懸賞けんしょう
企業や団体が幕内の取組にかける賞金。1本7万円で、うち6万円が勝ち力士の獲得金額。
物言いものいい
行司の判定に対し、審判委員または控え力士が異議を申し立てること。
取り直しとりなおし
協議の結果、両者同体と判断された場合にもう一度取り直すこと。
水入りみずいり
取組が長引いて進展がなくなったときに一旦中断すること。中断中に力水をつけることから。
審判委員しんぱんいいん
土俵下に座って勝負を見守る親方衆。物言いをつけ、協議して最終判定を下す。
土俵入りどひょういり
取組の前に力士が化粧廻しを締めて土俵に上がる儀式。十両、幕内、横綱それぞれに行われる。
化粧廻しけしょうまわし
土俵入りで締める刺繍入りの前垂れ。下端の房を馬簾といい、紫は横綱・大関のみとされる。
三段構えさんだんがまえ
上・中・下の三段に構える古い儀礼的な型。土俵入りの所作はこれを簡略化したものとされる。
雲龍型うんりゅうがた
横綱土俵入りの型の一つ。綱の輪が1つで、せり上がりで右手を広げ左手を脇腹に当てる。
不知火型しらぬいがた
横綱土俵入りの型の一つ。綱の輪が2つで、せり上がりで両手を広げる。
太刀持ちたちもち
横綱土俵入りで太刀を持って従う力士。
露払いつゆはらい
横綱土俵入りで横綱の前に立って先導する力士。
一門いちもん
相撲部屋の系列集団。師弟関係などでつながる部屋のまとまり。
弓取式ゆみとりしき
結びの一番のあと、勝者に代わって弓を振る儀式。幕下以下の力士が務めることが多い。
役相撲やくずもう
千秋楽の最後の3番。勝者はそれぞれ矢、弦、弓を受け取る決まりになっている。
千秋楽せんしゅうらく
場所の最終日。役相撲や表彰式が行われる。
結びの一番むすびのいちばん
その日の最後の取組。
相撲節会すまいのせちえ
平安時代に宮中で行われた相撲の年中行事。相撲節(すまいのせち)ともいう。
打ち出しうちだし
その日の興行が終了すること。

確かめきれていないこと

このページを作るときに、出典で裏を取りきれなかった点や、資料によって説が分かれる点です。 隠さず書いておきます。

  • 【最重要・出典の問題】原稿が根拠としていた日本相撲協会サイトの「大相撲クイズ」約35本(https://www.sumo.or.jp/Entertainment/quiz/番号 の形式)は、今回いずれも取得できず、内容を確認できなかった。ただし同サイトはトップページがリンクしている正規のURL(例: /IrohaKnowledge/sumo_history/、/Watching/isolate/)や「懸賞について」「土俵上のタイムスケジュール」のページも同じ「URLに誤りがあります」というエラーを返すため、これらのクイズページが存在しないと断定することもできない。存在確認・内容確認のどちらもできなかったため、これらを唯一の根拠としていた記述(水の正式名称、二字口の由来、拍手が土俵への礼であること、仕切り線の制定年と長さ90センチ、明治35年という年、無勝負の廃止年、手刀の神名表記、控え力士の物言いの具体例、雲龍型・不知火型に関する協会の断定的な見解など)は、断定を避けた表現に改めるか本文から外した。協会サイトの記述を引用する場合は、ブラウザで実ページを確認したうえで復活させてほしい。
  • 仕切り線の長さ。精選版日本国語大辞典は「幅六センチメートル、長さ八〇センチメートル、間隔七〇センチメートル」とする。原稿は協会の値として90センチを挙げていたが、その出典を確認できなかった。幅6センチ・間隔70センチは複数資料で一致するため、長さのみ両論併記とした。
  • 仕切り制限時間の変遷。ブリタニカ国際大百科事典(コトバンク)と協会の英文パンフレットはいずれも「1928年に10分で導入され、7分、5分を経て現在の4分」とする。一方、昭和25年(1950)に4分・3分・2分になったとする説明もある。両者は段階的短縮の最終段階が1950年だと考えれば矛盾しないが、各段階の正確な年月は確認できなかった。原稿にあった「どちらが正確か不明」という整理は、この点で更新した。
  • 制限時間が設けられた理由。ブリタニカは「取組の進行をスムーズに行なうため」とのみ記す。ラジオ中継(1928年1月開始)の放送枠に収めるためという説明は広く流布しているが、それを一次資料で裏付けることはできなかったため、本文では断定を避けた。
  • 仕切り線が設けられた年。原稿は昭和3年(1928)に制限時間と同時に制定としていたが、これを明記した確認可能な資料に当たれなかった。理由(両力士が離れて仕切るため)のみ残した。
  • 力水・力紙の正式名称。原稿は「協会の正式名称は単に『水』『紙』」と断定していたが、これは確認できなかったクイズページに依拠していた。ウィキペディアは「力水」を正式名称とする。相撲規則の土俵規定に「水、紙、塩」とあるという説明も原文を確認できていない。本文では両論併記に改めた。
  • 水と紙が十両以上に限られた時期。原稿の「明治35年(1902)1月から」は裏付けが取れなかったため、「明治期に改められたとされる」に留めた。
  • 懸賞金の内訳。1本7万円(税込)と、勝ち力士の獲得金額6万円・協会の手数料1万円は複数の媒体で一致する。獲得金額の内訳を「現金1万円・積立5万円」とするのは報道ベースで、協会公式サイトでの確認はできなかった。以前は「現金3万円・預り金3万円」と説明されていた時期がある。また協会の1万円について、公式は取組表掲載料・場内放送料とするとされる一方、ABEMA TIMESは懸賞旗の制作費を含むと記しており、記述が食い違う。
  • 懸賞旗の寸法(横70センチ×縦120センチ)、提供者名15文字以内、申し込み本数の条件、令和元年6月改定・同年九月場所適用という改定時期。いずれも協会の「懸賞について」ページが出典とされるが、同ページを取得できなかったため本文からは外した。
  • のし袋が厚く見える理由。原稿は「1本ごとに袋が分かれているため」としていたが、ABEMA TIMESは「折り目のない新券と硬い厚紙の台紙が入っているため」および「本数が多いと束になるため」を挙げている。後者に改めた。
  • 無勝負の廃止時期。原稿は「安政(1854〜60)頃まで存在し、慶応年間(1865〜68)に廃止」としていたが、これを確認できる資料に当たれなかった。江戸時代に無勝負の裁定が存在し、現行規定では必ず東西どちらかに軍配を上げることのみ確認できたため、年代は「幕末」に留めた。
  • 引き分け・預かりの廃止時期。原稿は「大正14年(1925)11月」としていたが、確認できなかったため本文から年代を外した。
  • 控え力士が物言いをつけた具体例。原稿は平成26年(2014)五月場所十二日目の横綱白鵬の例を挙げていたが、一次資料でも報道でも確認できなかったため本文から外した。控え力士に権利があること自体は複数の資料が記している。審判規則第5条の条文も原文を確認できていない。
  • 支度部屋の正式名称。原稿は「協会の正式名称は『力士控え室』」としていたが、nippon.comの記事にその記載はなく、確認できなかったため本文から外した。東西の振り分けが番付の東西と一致しない点、対戦する二人が別の部屋になるよう振り分けられる点も、規定の原文は確認できていない。
  • 弓取式が毎日行われるようになった場所。1952年(昭和27年)である点は一致するが、精選版日本国語大辞典は一月場所、ウィキペディアは五月場所とする。
  • 弓取式の起源。寛政3年(1791)の徳川家斉の上覧相撲で谷風梶之助が弓を四方に振り回したという記録が明確なものとして挙げられる一方、元亀元年(1570)の織田信長の上覧相撲を起源とする説は俗説として扱われている。平安時代の相撲節会の「勝ち舞い」に基づくという説もあり、いずれも伝承の域を出ない。
  • 雲龍型・不知火型という名称と、実際に10代雲龍久吉・11代不知火光右衛門が行っていた型との対応関係。明治期に入れ違ったとする指摘が繰り返し報じられているが、当時の型を確定できる史料は確認できなかった。原稿にあった「協会は『雲龍型は2代目梅ヶ谷型、不知火型は太刀山型とするのが一番正確なのは間違いない』とまで述べている」という断定的な引用は、出典を確認できなかったため削除した。
  • 手刀の三神の表記と読み。『相撲大事典』に基づくレファレンス協同データベースの回答は「神産巣日神/高御産巣日神/天御中主神(あまのなかぬしのかみ)」とする。「高皇産霊神」「あめのみなかぬしのかみ」と表記・訓む資料もあり、揺れがある。左・右・中の順が昭和41年七月場所から正式実施された点は確認できた。原稿にあった「それ以前は東が中・右・左、西が中・左・右」という記述は確認できなかったため外した。
  • 「時間いっぱいのあと、立合いが成立していない状態で土俵の外に足を出すと負けになる」という記述。対応する規則条文を確認できなかったため、「と説明される」に留めた。
  • 塩の使用量。週刊ポストの記事は「国技館で1日に使用する塩の量は45キロ」とする。大阪・名古屋・福岡の各場所や年による変動は確認できなかったため、本文では国技館に限定した。粗塩を使う理由として原稿が挙げていた「指からこぼれにくい」は確認できず、英文パンフレットが記す「手を湿らせ、擦り傷を消毒する」に置き換えた。
  • 幕下以下の取組で塩がまかれる基準。「進行が早すぎる場合」という運用上の説明にとどまり、明文の規定は確認できなかった。
  • 塵手水(塵浄水)の由来と表記。野天で草の朝露により手を清めた説と、空気中の塵を集めて清めた説があり、確定した史料は確認できなかった。表記も「塵手水」「塵浄水」が併用されており、どちらが正式かは判断できなかった。
  • 四股の宗教的な意味づけ(大地の邪悪な霊を踏み鎮める、反閇に由来する)は百科事典マイペディアの記述であり、複数ある説の一つ。語源も「醜」の意とする説と「醜足」の略とする説がある。
  • 「はっきよい」の語源。「発気揚々」とする解釈が広く知られるが、この解釈自体が第二次世界大戦中に定められたものだという指摘があり、語源は確定していない。
  • 一日のタイムスケジュール。協会公式サイトの該当ページを取得できなかったため、一般に案内されている目安として示した。会場や日によって開始・終了時刻は異なる。
  • 勝負がついた後、両力士が礼をしてから勝ち名乗りに移るという手順は、広く行われている慣行として記述した。手順を定めた規則条文は確認できなかった。
  • 公認相撲規則(土俵規定・力士規定・勝負規定・審判規則)の全文は協会のウェブサイトで公開されていない。本文で引用した勝負規定第5条は専門記者の記事を通じた引用であり、原文と一字一句一致するかは確認できなかった。
  • 原稿が挙げていた相撲博物館の展示ページ3本、イミダス「制限時間(大相撲)」は、いずれも今回内容を確認できなかったため出典一覧から外した。実在と内容を確認できれば、雲龍型・不知火型や寛政の上覧相撲の裏付けとして有用と思われる。
  • 裏取りの一部にウィキペディア日本語版を用いた。一次資料ではないため、出典一覧では二次資料であることを明示した。専門書(『相撲大事典』金指基原著、現代書館、2007年ほか)に当たれれば、無勝負・預かりの廃止時期、明治35年の力水、懸賞旗の規格など、今回確認できなかった数値の多くを確定できる見込みがある。

出典

  1. 日本相撲協会 英文パンフレット「SUMO」(PDF。土俵の寸法、禁じ手、塩まきの資格と意味、蹲踞、塵手水、仕切りと制限時間の変遷、化粧廻しの価格、綱の重さ、横綱土俵入りの所作の意味、弓取式)
  2. 日本相撲協会 公式サイト
  3. 日本相撲協会「相撲基本動作」(PDF)
  4. コトバンク「仕切り制限時間」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)— 1928年1月導入、幕内10→7→5→4分、十両3分、幕下以下2分以内、計測開始点
  5. コトバンク「仕切り線」(デジタル大辞泉/精選版 日本国語大辞典)— 幅6センチ、長さ80センチ、間隔70センチ
  6. コトバンク「四股」(デジタル大辞泉/精選版 日本国語大辞典/百科事典マイペディア)— 当て字、醜・醜足、民俗相撲の伝承、反閇由来説
  7. コトバンク「力紙」(デジタル大辞泉/精選版 日本国語大辞典)— 化粧紙、用途
  8. コトバンク「弓取式」(精選版 日本国語大辞典)— 元亀元年説、幕下力士の代行、千秋楽から毎日実施への変更
  9. レファレンス協同データベース(国立国会図書館)「懸賞を受け取るときの相撲の手刀の所作について知りたい。」千葉県立中央図書館 — 三神、昭和41年七月場所、名寄岩と時津風理事長
  10. スポーツナビ/荒井太郎「大相撲で続出する立ち合い不成立 力士、行司、審判部の共通認識が必要に」— 勝負規定第5条の引用、2016年5月場所からの手つき徹底
  11. NEWSポストセブン(週刊ポスト2018年3月23・30日号)「幕下以下には許されぬ土俵上での塩撒き、例外はいつ?」— 塩が入る運用、国技館で1日45キロ
  12. nippon.com「「支度部屋」物語―大相撲報道を支える、力士と記者の“せめぎ合い”の場」— 国技館での位置、東西の構造、番付順の配置
  13. 現代ビジネス(講談社)/抜井規泰「「雲龍型」と「不知火型」はもともと逆だった!?…横綱土俵入りの“100年以上続く誤解”」— 10代雲龍・11代不知火、明治期の入れ違い説
  14. ABEMA TIMES「相撲の懸賞金は一本いくら? 分厚い理由と手取りの内訳を解説」— 7万円の内訳(現金1万円・積立5万円・事務経費1万円)、のし袋が厚い理由
  15. ウィキペディア日本語版「物言い」(二次資料としての裏取りに使用)— ビデオ導入の経緯、大鵬45連勝が止まった一番
  16. ウィキペディア日本語版「弓取式」(二次資料としての裏取りに使用)— 谷風1791年、手をつかない理由、落とした弓の拾い方、1952年から毎日実施
  17. ウィキペディア日本語版「土俵入り」(二次資料としての裏取りに使用)— 享保年間の相撲絵画、谷風・小野川より70年以上前
  18. ウィキペディア日本語版「行司」(二次資料としての裏取りに使用)— 無勝負の廃止、はっきよいの語源解釈が戦時中に定められたこと
  19. ウィキペディア日本語版「力水 (相撲)」(二次資料としての裏取りに使用)— 誰がつけるか、付け人の片肌脱ぎ、力紙の形状